2003年3月前半
2003年3月前半
2003年3月1日(土)
事故から1日がすぎた。
やっとこさ精神的には(今も不安定といえば不安定だが)落ち着きを少し取り戻した。
テレビをみると今日は降水確率80%。
昼ごろに用事があったので、電車ででかけ、夕方に帰宅した。
帰りは雨がやっぱり降っていた。
それにしても、、なんと言うか地面に浮いているような喪失感があった。
とりあえず+思考に考えなければならないのは分かる。十分わかってるが。
このあと、過失がどーのとか色々もめそうな予感がするし、冷静にならねばならない。
ご飯を作る気力もないのでレストランに入り中華料理を食べた。
いつものようにドリンクバーと、ホイコーロー、チンジャオロース、チャーハンをたのみ
始めにオレンジジュースを入れ飲む。
いつもとおなじ光景。でもいつもと違う心境。
ひたすら楽しいこともあるが、たまには悩んだって・・・
そう感じた。
事故もネタ・・・のような気がしてくる・・・
だいたいよ・・・ノートパソコンを背中のリュックにいれてしょってたのに、驚くほど無傷。
壊れてないし・・・
なに? ドリフトの練習したとでも思えば??
2003年3月3日(月)
今日は午後から警察に出頭することになった。
最初はビクビクしながら警察署へ入る。
俺”すいません、○○巡査いらっしゃいますか?”
受け付け”はい、交通事故課の部屋にいます。”
と機械的に返答され、交通事故課の部屋へはいる。
巡査”おお、お前本当に大丈夫なの?正直うたがっちゃうよ。”
と驚いた声で聞かれた。
俺”はぁ・・・まだ両膝に痛みがあるんですが、骨折とかはないようです。”
巡査”おお。。すげぇなぁ・・・まぁこれをみてくれよ。”
といって、ビデオテープを取り出す。
どうやら、大きな交差点だったので、カメラがついていて、事故の瞬間を捕らえていたようだ。
俺の思ったとおりに、直進してくるのにもかかわらず、相手が急に右折して、ぶつかっていた。
しかし、それからが信じられないような光景だったのだ。
接触した場所から、俺の体がスライディングのようにすりつづけ、5メートル近く吹っ飛んでいる。
今だ!2ゲットォォォォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´
∧∧ ) (´⌒(´
⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
 ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
接触したR1-Zはそのばでくるくる回ってるし・・・
そして、すっと立ち上がる俺w
そこまでが鮮明に写されていた。
交通事故課では、このビデオテープをみた警官たちが、声をあわせて、”お前すごいな”という。
正直わけがわからん。。
そして事情聴取。
ここであーなって、こーなって・・・
自分の過失はこれだと思います。あいての過失はこれだと思います。・・・・と端的に答える。
問題は接触した速度だった。だいたい体感で50`近くでてたかもしれない。
しかし、ブレーキを直前でしているといわれ、接触した速度は30`とされ、書かれた。
最後に印鑑と自分の名前を書いて、終了。
まだ過失割合はわからないとのこと。検察庁で決定するらしい。
相手の左の前輪タイヤは接触してパンク。あとはバンパーなどを取り替えないといけないといわれた。
しかし、俺のほうは結構しんこく・・フロントがほぼ全損。フレームにダメージあり、あとはいくつかのパーツが破損など・・・
通常なら全損認定されて、廃車にされてしまうかもしれないが、なんとしてでも修理すると相手に行った。
相手も以外と誠意のある人らしく、”わかりました。。”とうなずいていた。
しかし、沖縄に行こうとたくらんでいたのだが、事故でずれてしまった・・・
たぶん明日からぶらりと沖縄へ行ってきます。4、5日旅してくるでしょう。
ぶっちゃけた話、事故の話は個人同士で話しても長引いてしまうような気がするので、あとは保険屋さんにお任せ
皆さんも万が一のときに備えて、任意保険は介入しときましょう。
ってことで明日から逝ってまいります。写真もとってきますので、UPします。
4.5日留守にしますがよろしゅうお願いします。
2003年3月4日(火)
めんそーれ。沖縄はあったかいさ〜
朝5時ごろに起き、電車に飛び乗る。一路羽田空港へ。
空港でスカイメイトを使って沖縄行きのチケットを18500円で購入し、9時フライトの飛行機になんとか乗る。
スカイメイトだと予約などができずに、実質空席待ちの最低ランクなわけで乗れるかどうかは分からないところなのだ。
とにかく2時間ちょっとで那覇空港に到着した。
那覇空港から那覇市街は何気に離れていて、バスかタクシーをつかわなければ行く事が出来ない。
沖縄には電車が無く、移動手段はもっぱらバスかタクシー。
今年の秋にはモノレールが開通するらしいが、あまり期待はしてないみたいだ(沖縄人談)
どうやらモノレールけっこう大回りして空港へ行くらしく、時間の無駄らしい。
ともかくバスに乗ってゆこうと思って時刻表をみるが、50分まち??
あーあ、50分もまってらんねーしなぁ・・・
かといって、タクシーは高いしあんまり好きじゃない。
なにを思ったのか俺は歩いて市街まで行こうと思った。
そして1時間ちかく・・・だいたい4.5キロくらいかな?
馬鹿みたいに歩いた。国際通りで友達のN氏と待ち合わせていたので、歩きながら連絡をとりつつ到着。
この日は宿をさがし、とくに何をするわけでもなく国際通りのお土産屋なんかを回って一日を終えた。
今日の支出としては宿代2500円と、飛行機代、あとは食費くらいで終了した。
2003年3月5日(水)
沖縄2日目。
2日目の朝を国際どおりからちょっと裏道にはいった旅館で迎える。
もっぱら金がない学生さんな俺たちは”ホテル”なんてものにはとまれずに”民宿”という安い素泊まり3000円弱のところに泊まる。
メシなんてついてこないし、寝れればそれで良い。という状態。
そして、N氏やN氏の後輩とともに、”首里城”へゆくことにした。
あいにくながら天気は曇り空、首里城へつくとポツポツ雨が降ってきていた。
沖縄って晴れると最高なのだが、雨が降るとどこにも行けずに、気分が萎えまくる。
まぁ、雨がそんなに酷くないのでよかった。
うぅ・・・守礼門、赤いお城。どこか日本のお城のような感じをかもし出しつつも、まったく異なった文化を継承しているような感じ。
どちらかっていうと、中国のお城に近いかもなぁ・・
歴史の深さに感動し、そして、首里城再生した(つくりなおした)男達のあついドラマを感じた。
帰り道あたまのなかでプロジェクトXのエンディングテーマが流れていた。
今日中にN氏の後輩達は飛行機を予約しているので帰る事になっていたので、そのあと沖縄名物の”ソーキソバ”を一緒に食って別れた。
俺とN氏は一緒にそのあとこの日泊まる宿を探す事にした。
これが困難を極める。。実は、どこの宿やホテルも観光客で一杯らしく、近くにあいている宿が見つからないのだ。
しかたなく、沖縄の裏通りを歩き回り、その日の宿を探すのに奔走する俺たち。
国際通りからかなり足をのばし、歩き回って、何軒めかの宿の主人に紹介された宿へとまることになった。
しっかし、その紹介された宿が酷い事。
2段ベッドがいくつかあり、そのベッドの一つに寝ろっていうのよ。これが。
俺たちはマガジンの”雀聖伝説 哲也”にでてくる玄人かよっての!!
実際あのマンガに出てくるような、汚い宿
上の段には全然しらない人とか寝てるし、部屋自体はキタネェし。最悪。
荷物だけ置いて、俺たちは国際通りで時間をつぶし、宿では寝るだけにした。
俺はパチンコで時間をつぶし、1万円ちょっと収入を得、そのあとマンガ喫茶でマッタリしたのちに、深夜12時くらいに宿へ戻りとっとと疲れたので就寝。
いやぁ・・・沖縄きたのに、食べてるものがファーストフードが多いのは気のせいでしょうかねぇ・・・
だいたい沖縄まできてパチンコして暇つぶすなんて考えもしなかったよ、おじさん。
2003年3月6日(木)
嵐の3日目
朝起きるが気分が最悪。
昨日の宿のせいだ。せめて部屋くらいかしてくれりゃーいいんだが、ベッドだけだもんなぁ〜個人の空間。
とっとと朝飯くいに、ここの宿を逃げるようにして立ち去る。
朝飯。 何故かモスバーガー(汗
だって、、この時間帯あいてるのマクドかモスくらいしかないのよ。
そこで1時間くらい朝メシでつぶす。
今日はN氏が東京に帰ろうと思っていたらしく、一緒に大学の友達にお土産を買うことにした。
ふらふら歩き回り、一緒に大学の友達のお土産を探して購入した後、お昼になったので昼メシ。
昼飯。 何故かマクドナルド(滝汗
そこで地図なんかをみてまったり2時間近くメシくってくっちゃべる。
N氏が”そろそろ空港いこうかなぁ〜”なんていって、空席を調べてもらうためにANAの建物に入ろうとして外をみると。
台風ばりの大雨じゃないですか・・・・
風が強くて雨が横殴りの状態。
傘をさしているのだけど、ズブ濡れ。
なんとか羽田空港行きの空席が見つかったようで、N氏はタクシーで急いで空港へ行くとのこと。
別れをつげ、俺は今日の宿をさがすことになった。
それにしても・・・どこも宿に空きがないのよなぁ・・・昨日の所はイヤだし・・・・
国際通りからかなり歩いて、やや空港の方面の宿を探すと、奇跡的にあいていた。
部屋に案内されたが、そんなに悪くないし。とりあえず1泊泊まる事にした。
宿代2000円。 昨日のベッドだけで1500円にくらべれば、トイレと洗面所がついているし、広いし。
良かった。ただ国際通りへアクセスするのに10分以上歩かなければならないけど。
とかく、雨で濡れた衣類をコインランドリーで洗濯してその間シャワーに入る。
外は雨がザーザー降りなので一歩も出ることが出来ない状態。
今日は休む事にしよっと・・雨降るとなんもできねぇなぁ〜と少々あきらめかけ。
2003年3月7日(金)
天気不明の4日目
朝起きて天気を確認。。
んーとても読みにくい天気。
曇ってるので、この状態が続くか・・それともあとから雨がふってくるのか・・・
という瀬戸際である。
とりあえず、荷物をさっさとまとめ、宿を後にする。
ちかくのミスタードーナツ(何故ミスタードーナツとは聞くなかれ(滝汗 )で朝飯のドーナツを食いつつ、地図とにらめっこして行き先を決めた。
今日は沖縄南部の”平和記念公園”へ行こう。
距離がそこそこあるので、バスなんかを考えていたのだが。
んー・・・やっぱりレンタルバイク マンセー!!
50ccを借りる事にした。
ちょっと雨パラ降りだったけど、いっけー!!
本来50ccでゆく距離じゃないのだが、無理するの大好き
1時間くらい乗りっぱなしだったが、無事に平和記念公園に到着した。
だだっぴろくて、建物がたくさんあった。
そして小高い丘を登ると、いろいろな県が建てた塔があるんですよ。
大阪府による、”なにわの塔”とか茨城県による”茨城の塔”とか。
戦争で南部は大きな被害を受けた地域で、戦死者の量が半端なものではなかったみたいです。
沖縄戦線での戦没者の名前が刻まれた石碑があったのですが、その石碑の数がすごい。
石碑一つに付き、約200名くらいの名前が記入されているのですが、
その石碑自体が100以上あると思います。それだけすごい数の人間が死んでるということがわかる。
そんなひさんな戦争をしのび、作られた記念公園なのである。
しばらく、そこを見学した後、南部をぐるっと一周するように、那覇市街へ帰ってきた。
那覇市街に帰る途中に、白いフェアレディZのS30を見た。
S30とは一番初期型のやつで、俺が最も好きな車でもある。思わず、バイクをとめ、色々と見ていると、持ち主の人が車のもとへ帰ってきた。
そして俺は一言、”すいません、S30の写真とってもいいですか?この車好きなんですが・・・”
相手は多分30ちかい20代の普通のそこらにいる兄ちゃんだった。
兄ちゃん”ん、ああ、どーぞ、この車しってんの??”
俺”はぁ・・・まぁ色々と訳ありなんですがねぇ〜”
俺”ちょっとエンジンとかみせてもらえませんか?”
兄ちゃん”ん、了解さ〜 ところで君どこからきたんさ?”
俺”いちおー横浜ですが、何か?”
そして・・・ボンネットをガチャっとあける・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・( ´_ゝ`)フーン。。やっぱりなぁ・・・
普通ならS30は日産のL20エンジンという2000ccのエンジンが標準搭載なんだけどねぇ・・・
やっぱりL28改ってとこだわな・・・
L28とはS30の次の世代のS130という種類の車に載せられていた800ccアップのエンジンで、それをわざわざS30に載せているというまぁ、お得意のチューンの一つである。
大体S30自体が30年くらい前の車なので、普通に現在公道を走ってるとパワー不足な訳。
でそのL28エンジンを3000ccとか3100ccに改良したやつをL28改とちまたでは言う。
ちょっと長くなったが、とりあえずそのS30にはL28改のエンジンがボンと納まっていたわけだ。
俺”・・・L28改ですなぁ・・・あとタコ足を変えてる??”
兄ちゃん”・・・お前・・・詳しいね・・・今日一緒に地元の飲み屋いかないか?もちろん俺のおごりでいいさ〜”
キタ――――(゚∀゚)―――――!!!
神降臨の瞬間である。
俺”マジっすか!!”
兄ちゃん”ところで宿は決まってるのか?”
俺”いやぁー宿さがしたんだけどあいてないんですよね〜どこも(汗”
兄ちゃん”そっか、宿も俺が探してやる。”
とサービス精神満載な兄ちゃん。
そのあと、けっこういいホテルを探してくれ、そこで俺は泊まる事になった。
どうやら、普通はとめないらしいのだが、その兄ちゃんが交渉してくれたらしく、無理やり2人泊まれるところに1人で泊まる事になった。
ここでお礼をいいたい。S30の兄ちゃん。本当にアリガトウ。あなたと知り合えなければ、俺は今日野宿しているはずだったよ。
俺は感動した。あんたみたいないいひとにめぐり合えたなんて。
人間まだまだ捨てたもんじゃない。
そして、荷物をそのホテルに置き、那覇の隣の”浦添市”にある兄ちゃん行きつけの飲み屋へ連れて行ってもらい、一緒に飲んだ。
沖縄の食べ物をたくさん頼んでもらい、泡盛を飲み、大いに車の話などで盛り上った。
のみ代を全ておごってくれただけじゃなくて、帰りのタクシー代もくれたのだ。
これもS30との出会いが無ければ決して無かった出会いなんだろーなぁ・・・・知らない地で、まったくの他人に助けられ、貴重な1日を過ごせた事に感謝しつつ、
民宿からホテルへとレベルUPをよろこんだ。

Thanks FairladyZ S30 !!!!!
2003年3月8日(土)
そろそろ晴れて欲しい5日目
毎日曇りのち雨が続き流石にウンザリしている。
それと、孤独感が日を増して強くなってるし、国際通りも行きまくっているので、さすがに飽きてきた。
昨日、Zの兄ちゃんと飲みながら、沖縄の名所を聞いたところ、
”残波岬がきれいさ。あそこは沖縄んちゅ(沖縄のひとと言う意味。)でも感動する。”と教えられた。
今日の朝、俺が作戦本部としているいきつけのミスタードーナツ(もうだめだな・・・)でコーヒーを飲みつつ地図を見ると、
残波岬は結構遠い事がわかった。
那覇から国道58号線をまっすぐいって、嘉手納市をこえ、読谷村というところの近くにあるのが”残波岬”なのである。
50ccは借りているのだが、流石に距離がありすぎるかなぁ・・・という感じ。
天気もそんなに良くないし・・・まぁ、暇を持て余してるわけなので、がんばってゆく事にした。
58号線をひたすら進む。
片道3車線の大きな道路である。制限速度が60`なので車がガンガン飛ばしている。
1時間くらい進みつづけると、嘉手納市の近くまできた。
嘉手納市は、米軍の基地があるのでとても有名な場所である。
しばらくすると、Yナンバーの車が周りに多いことに気づく。すると、58号線をはさむように米軍基地があり、広大な広さなのにおどろいた。
右も左も米軍基地。ここはアメリカざんすか? というくらいの感じだ。
そういうちょっと日本かどーか怪しい場所をすぎ、しばらくゆくと、穏やかな海沿いのさとうきび畑にでた。

さとうきび畑の後ろには海がみえる綺麗なところだ。
そして、やっとこさ残波岬に到着したのだ。駐車場をみると以外と沖縄ナンバーの車が多いことから、カップルなんかがきてるんだろーなぁ〜なんてちらっと頭を抜けていった。
確かに綺麗な海だ。エメナルドグリーンの海。写真をとろうと思ったが、周りがカップルばっかりで、1人で景色とるのもさびしいので、少し移動をして、ベストなポジションをさがしてシャッターをきる。
あとは天気がよければいいのになぁ〜沖縄へせっかくきたのに、残念である。

そして、しばらく時間をつぶした後那覇市へ帰る事にした。
ちょっと遠くまできたけど、沖縄に来て本当によかったな。と実感した1日となった。
那覇について、お土産を探していると、昨日のZの兄ちゃんから電話があり、今日いっしょに晩飯を食べようか〜ってことになった。
ビルの10階にある焼肉屋でメシを食うことになった。Z兄ちゃんと、Z兄ちゃんの友人、彼女の4人で食うことになった。
横浜なんかについて、いろいろ聞かれたし、車の話をたくさんした。
その焼肉やのビルからは、那覇市街が一望でき、以外と栄えてるなぁ〜なんてつぶやいて腹いっぱいメシを食った。
話してるとわかるのだが、沖縄の人っていうのはほんとにのほほーんとしてるよなぁ・・・
東京みたいにセカセカしてないし、どちらかというとまったりしてる。
やっぱり島国であたたかいとこーいう性格になっちまうんかなぁ〜とか思った。
昨日はちっと欲張ってホテルなんかに泊まっちまったので、今日は質素に安宿に泊まる事にした。
財布のなかと相談したのだが、結構お金ないことに気づいて、明日にでもかえろう。と決めた。
2003年3月9日(日)
帰ろうと決意した6日目
携帯電話の目覚ましで起きる。AM8:00か・・・。
とっととおみやげを買って、ANA(全日空)のビルへいって、今日の東京行きの便の空席状況を調べなくてはならない。
おみやげには泡盛、お菓子、それとキーホルダーなんかをゴロゴロかって、全日空のビルへ10:00くらいにつく。
俺”すいません、今日の東京行きの空席状況を知りたいのですが。”
”うーん・・・”
受付のひとは少し困ったような顔をして、
”今日はどこも満席ですね、、キャンセル待ちしかないですね。”
気づいたら、日曜日じゃないか。
観光客が帰るピークなのよなぁ・・・金曜日の夜からきて、金・土・日 と滞在。
で、日曜日に帰るというパターンが多いみたいなので、もっとも空席がないのが日曜日みたいです。
宿で泊まる金も使いたくないので、空港でキャンセル待ちでもいいから気長にまとうと思いました。
時間なら腐るほどあったものでw
そうだ、お昼ごはん食べてから帰ろう。
最後に何食べようかな・・・・・
目にはいったのは”丼や”という、”吉野家”みたいな牛丼屋である。
味もちょっと違うし、最後の記念に食べることにした。
いつもなら、”並盛り”を頼むのが俺のセオリーなんだが、
ワケありで、”得盛り”を頼んだ。
得盛り・・・字が間違ってると、思った奴は多いと思う。”特盛り”の間違いだろ、このDQNが!!と。
だがな、違う。 本当に”得”盛りなんだよ。そして、間違っていない。
並盛り

得盛り(涙

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どーん。
正直はじめてここのみせの得盛りを見たときは引いたね・・・
流石にでかすぎるだろ!!! と。
かえるまぎわに、ここの”得盛り”をくい、空港で6時間近くキャンセル待ちして、やっとこさ東京に着くことができました。
キャンセル待ちしてる間に逃した飛行機約3便でしたが、忍耐力がついて、自分にとってはいい修行になりました。

もいっかいどーん(爆
2003年3月10日(月)
病院へ行く。
事故した相手から電話があり、精密検査を受けてくれということだった。
相手も、くびいた〜い。って俺が何ヶ月もゴネられちゃ、困ると気づいたんだろう。
とにかく、旅行から帰ってきて疲れてたけど、病院へ行く事になったのだ。
地元の、こぎたない病院の受け付けで腰掛ける。おもむろに雑誌を取り出し、待つ。
30分経過・・・おっせーな、何やってんのよ、この病院は!! ちょっとイラつく。
1時間経過・・・おいおい・・・俺も暇じゃないのよ!! たかが、擦り傷で来てるだけなのに!!
はっきりいって、痛みは少ない。旅行いってるくらいだしなw
そしてやっと診察。
俺”あのぉ〜これが・・痛いんですが・・・”とすり傷を見せる。
正直いたくないけど、痛いくらいいわねーと時間と金の無駄だ。
見せると。医者はふーんって感じで、
”ああ、もう治りかけてますよ。消毒・バンドエイド一切必要ナシ!!”
と断言されちまった。
そして、明日脳をCTスキャンしよう。ということになって、一件落着。
診察時間約3分。
1時間15分近くまって診察3分、見るだけ、なにもナシ。
とんだ馬鹿を見たような気がした。
こんな傷で病院へ行く俺も俺な気がするが、、先生もちっとは真面目に見て欲しいものである。
例えば”他にどっかいたいところとかないですか?”
の一言あるのとないのではだいぶ違うと思う。患者の心理的には。
ま、今日の教訓は、”そこにやさしい一言。あなたのイメージが変ります”ですなw
2003年3月12日(水)
特に、昨日病院でCTスキャンをしたのだが、問題がなく、健康に今日を迎える事ができた。
しかし、CTスキャンというものは気持ちの悪いものである。
初めてこのような体験をしたのだた、丸い大粋なドーナツの穴のなかに頭から突っ込まれるのである?(ちょっと表現しにくいが)
そこで、何らかのセンサーを体に通して、内部を調査する。といったものなのだが、自分でもよくわからないが、そのセンサーが自分の体内に入ったな・・・と感じるのである。
どの人も、これを感じるのか、感じないのかは分からないが、実質とても気持ちいいものではないことは確かである。
そして、その後、医者の机のまえにスキャンした写真が張り出されてあり、それをみて、ここに異常をきたしている。。なんて説明を受けるわけだ。
自分の脳みそや、頭蓋骨、眼球なんかが見えているのでとっても気分悪いw
”ってか、俺の脳みそ少なくないですか?”みたいな事を医者に相談するが、”ああ、こんなものです”なんて一蹴。
ひざの方は気づいていなかったがかさぶたができ、皮膚ができてきているし。傷の治りは順調である。
病院の帰りにパソコンショップへ寄ってみた。
パソコン業界って、ホント移り変わりが速くてイヤになっちまうが、新しい商品が次々とだされるのが楽しい。
今日びのCPUといったら"Pentium 4"が普及していますが、新しいCPU?ですかが作られたみたいです。
その名も、”Pentium M”です。
これは、主にノートパソコン専用といった目的のために作られたCPUみたいなものです。
普通のペン4とちがい、命令などを圧縮転送するために約1、4倍高速になるみたい。
ペン4は高クロック動作で処理能力をあげるタイプのCPUなので消費電力が大きいのが問題なんです。
電力もくわないし、転送効率もいいみたいなのでノートにはオススメのCPUだと思います。
それと、このペンMとワイヤレスLAN、インテルのチップが三つそろうと、”セントリーノ搭載”というものになるみたいです。
合体ロボットみたいな感じなんですが、ノートに最初から無線LANがついてると、お得だなぁ〜なんて思っちゃいます。
この”セントリーノ”ノートパソコンは9種類とりあえず発売されるようでし。
ワシは、現在使用しているノートPCがあまりにもポンコツなためにとっとと買い換えたいなぁ〜なんて思ってましたが、
金もないのに、マシンパワーにこだわりがあるといういちばん馬鹿な人間でして(汗
そこそこ能力のあるCPU、メモリー USB2.0搭載、PCカードスロット、IEEE、無線LAN、赤外線、HDとまぁキリがありませんw
でも、拡張性のないノートPCだから最初にこだわりというか、そこそこパワーのある奴を買わないと後々もたんのです。
ノートPCを買うときに少しでも妥協してしまうと、すぐに使い物にならなくなってしまいます。
あとは、ファンの排気音。
これだけは注意してほしい。やたらうるさいタイプのものがあるんですが、使っているとうるさくて叩き壊したくなります(爆
実際、ワシの使ってるノートPCは少しでもCPUに負担のかかるような処理をすると、ファンが過剰に回転して、排気音がまるで暴走族です。(汗
一度、ファンを変えれないかと調べたことがあったのですが、ノートPCのファンなんてもちろん変える事はできなかったです。
だから、ノート買うときはいろいろスペックをみて、そして自分で触って 自分になじむか とかよく調べて購入したほうが絶対によろしい。
ただ単にカッコイイから、とかデザインが・・・などと右脳系で選ぶのではなく、確実に機能美を追求した左脳系のチョイスで行きましょう。
ちとカタイ話になってしまいましたが、”こだわり”をもってPCを選ぶということは非常に大切なことであるというのがワシの信念であります。
だって・・・グラッフィクとか悪いと嫌でしょ、ゲームやってて・・・(そこまでしてゲームかい!!
2003年3月13日(木)
この日は、友人K氏の家へ遊びに行く事になりました。
特にこれといった遊ぶための準備なんかをしてないわけだったので、Kの家に行く前にゲームソフトを買いに行こうと思った。
中古ゲームソフトの店なんて久しぶりにはいった。(以前までPS2がなかったため見向きもしなかった)
しばらくフラフラ店の中をさまよい、手軽な価格でかつ面白いゲームを探したのだが、結局メタルギアソリッド2を3000円で購入した。
以前PSのメタルギアソリッドにはまっていた時期があり、かなり面白かったので2に期待しての購入だった。
以前といっても多分高校2年か3年のころだったハズ(;´∀`)メタルギアソリッド2もでてから結構時間がたっているので3000円で購入できたのだろうとおもふ・・
まえにも書いたが、ワシは家庭用ゲーム機であまり遊ばないタイプの人間なので、ゲーム機が家にあってもあまりやろうと思わない(汗
かなりものぐさな性格でして・・
それには、テレビも長時間みない。というかなり飽きっぽい一面もプラスされて、テレビゲームなんざさらさらやらない状態である。
PS2とかもやるのは友人の家へ行った時はやるのだが、一人ではやらない。
まぁゲームなんてそんなものだろう・・といったかなり偏った解釈があるのでこういったところは治さなくてはならんと思っているのだがPCと戯れていた方が好きである。
ロールプレイングゲームなんかは1人でやるゲームの種類なんだろうが、このごろでてくるRPG自体がかったるくて続かない。
ファミコンで育った世代なので、単純明快でかつストーリーが面白いものが好みである。グラフィックなどそうはこだわらない。
グラフィックが綺麗じゃないと耐えられないっていうのが、たぶん普通の人の感性なのであろうが、そんなのは16ビット(スーパーファミコン並)くらいあれば問題ない。そういった部分も欠落した人間なのだ。
ともかく、Kの家ではメタルギアソリッド2を始めたのだ。
なかなかグラフィックも綺麗であるが、あの緊張感がたまらない。
ボカスカやってくる敵を倒すというものではなく、見つからないように数々のミッションをクリアーしていくというのはたまらなくスリルがあり面白い。
俺がプレイするまえにKがやってたのだが、Kは見つからずに進むというのに耐えられないらしく、殺しまくるのだ。
モロに見つかり、殺しまくる。
俺”え、あ、、このげーむ。。。隠れていくゲームじゃ・・・(;´∀`)つ”
K”殺せばいいんだよ、殺せば!!”(強気
ガンガンガン!!
銃を発砲しまくる。
警報が発動して、次々と部屋に流れ込んでくる相手の兵士たち。
それでも逃げずに勇敢に応戦するK(w
あのメタルギア独特の音楽が流れる。緊迫したメロディ〜
ガンガンガン!! Kの手によって面白いように倒れる兵士達。
このげーむ・・・・やってる人間の性格がモロにでるんだなぁ〜
K・・・好戦的すぎるだろ・・・あんた・・・
2003年3月15日(土)
昨日もは、メタルギア一直線で、ほとんどクリアーする手前までいった。(結局2泊しますた)
しかし、夜通しやってるわけだから、体力の消耗も激しいものがある。
フラフラになって、今日の昼頃に家についた。
最近、そう若くないなぁ〜と感じることがある。
実質20歳?? わけぇじゃねーか、ボケ! と怒られてしまうかもしれないが、
俺の言う若くない。というのは、すでに体力的にも、精神的にも”ピーク”をすぎて、下り坂の段階に入ったということを意味している。
実質、自分が15歳の時頭は悪かったが、それなりに物覚えもよくあまり忘れない。さらに体力的にも無茶できた。
というのが記憶にある。
現在、以前より物覚えが悪くなったり、忘れやすくなったりしている。
徹夜にしても、高校の期末テスト、前日からの一夜漬け勉強大作戦をテスト期間中に何回も実行にうつしたが、テスト中はおろか終了後家に帰っても、眠くないのだ。
まぁ、そんなのだから有り余る体力を持て余し。色々やったりもしたが、今では昔の話だ。
それにしても、手紙なんかを書いていて、ふとある単語がでてこなくなったり、漢字がポッと突然書けなくなってしまうことってないだろうか?
あああ、なんとなく頭の中では体系的に漢字を覚えているのだが、いざ書くとなったら、えっと、こんなかっこで・・・・とw
外国語にいたってはひどいありさまで、英語なんてものは単語なんてどこかの昔にすっとんでしまっている。
やっぱりKの家で夜明けまでゲームとかしていても、帰って眠くなる。というか、眠いのでKの家でそのまま昼過ぎまでぐーすか眠っている。
それで、睡眠時間を計算して8時間くらい眠ってるはずなのだが疲れがまだ残っていて家に帰った後も寝てしまう。
ただ、だらけた生活をしているという説もあるのだが、最近そういった症状が多くなってきた気がしている。
20歳という山をこえると、体の細胞は老化を始めるといわれているのだが、心身にも影響を及ぼすのだろうか?
ワシはそういうことを専門的に研究しているわけではないのだが、悩み事というのも増えてきている。
まぁ、人生そんなものだ。 あっけらかんにいってしまうと。
俺は太く短く生きるタイプの人間であると自覚している。
細く長くなんて、じっくり待ってられないタイプでもあるし、死ぬのならとっとと死んじまった方がいい。
今15歳くらいの人はうらやましい。と正直に思う。
15歳を自分はくだらないことでつぶしてしまった気がするからだ。
18歳くらいまでが、よくも悪くも思い立ったらすぐ行動にうつせる、、といった感じを受ける。
20歳は俗に若くていまからなんでも出来る!! なんていわれる歳かもしれないが、色々と取り囲まれているような気がする。
就職という2文字も迫ってきているのも事実であるが、就職してしまったらもう社会の歯車の一部になり、死ぬまでそのなかでまわりつづけなければ生きては行けないだろう。
そういった社会であるので、それはどうしようもないことだ。
自分が歯車の一部であることを拒めば、普通には生活できずに”世捨て人”といわれるようなことになるだろう。
昔、本を読んでいて、とても気に入った一言を見つけた。
”考える前に飛べ”
たしかこういったニュアンスの言葉だったと思う。
色々体裁を考えたり、その物事の後処理、後の事を考えて行動を控える。というのではなく、自分がやりたい!!
と感じたらすぐさま見向きもしないで飛んでみろ!! ということだ。
この言葉の受け止め方は人によって解釈が違うと思うが、俺はこう考えている。
若さ=触発性 ? だから何?
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